世にも奇妙な物語について


世にも奇妙な物語について

『世にも奇妙な物語』(よにもきみょうなものがたり)は、1990年4月19日から放送が開始されたフジテレビ系列にて共同テレビと共同制作のタモリがストーリーテラーを務めているオムニバステレビドラマ。
現在は春・秋の番組改編時期に放送されている。
ステレオ放送、文字多重放送を実施。



深夜テレビドラマの『奇妙な出来事』からゴールデンタイムに進出し、現在の番組タイトル名になった。『世にも奇妙な物語 映画の特別編』(2000年11月3日公開)として映画化もされている。
演出はトワイライトゾーンを模倣して製作されており、類似したエピソードも多い。


世にも奇妙な物語の概要

1990年4月の夜8時に企画されていた番組の案が急遽中止されてしまった為、編成会議が開かれ当番組の編成部員(現在は企画担当)の一人である石原隆が会議で「深夜の『奇妙な出来事』はどうでしょう?」と発言した所、思わぬ好反応が返って来たことからゴールデンタイム枠に進出する事が決定されたとされる。

深夜番組だった同局の『奇妙な出来事』は、『カノッサの屈辱』や『やっぱり猫が好き』に始まる深夜番組ブームの真っ只中の1989年、トワイライトゾーンやヒッチコック劇場のような海外ミステリードラマの日本版を作ろうとして制作された番組で、放送されていたテレビドラマで若者の支持が多かった。しかし、放送された当初はゴールデンでやるには異色すぎるということから局内の評判がかなり悪く、スタッフもクビを覚悟で始めたと語っている。

ゴールデンタイム進出に当たって、深夜時代に斉木しげるが務めていたストーリーテラーをタモリに変更し、1話完結だった構成を当時としては珍しかったオムニバス形式に変更(業界内では当時オムニバス物は当たらないというジンクスがあった)し、毎回15分弱の作品を3話放送した。

フジテレビと共同テレビだけで毎週3本制作する事は困難だった為、東映、大映テレビ、東宝、日活、カノックス、PDS、セントラル・アーツ、オフィス・トゥー・ワン、テレパック、アズバーズ、ニユーテレスなど様々な会社に制作を依頼し、その結果競争的な色合いを持たせることが出来た。また、フジテレビが完全自社制作して放送した回もある。

現在、春・秋のテレビ番組改編時期に放送されている『特別編』では20?30分弱の作品をバラエティに富んだ合計5話のオムニバスドラマの放送をしている。

共同テレビ制作分以外の制作会社が制作した作品は、フジテレビとの権利が切れた物もあり、フジテレビ系列外の地方局で再放送されることもある。近年の『特別編』では共同テレビが一括して制作していることが多くなっている。

ストーリーテラーのタモリは、初期の作品には毎回エキストラ(サラリーマンや近所の人など)として作品の中に登場していた(トレードマークのサングラスではなく、普通の眼鏡で出演することもあった)。

当初はナイターシーズンの埋め合わせ企画だったが、放送を開始してから高視聴率を記録。最高視聴率は1991年3月21日放送分の25.7%である。

1990年10月から12月まで「いつか誰かと朝帰りッ」、1992年1月から3月まで「大人は判ってくれない」を放送した為、その間はレギュラー版放送は休止している。ナイターシーズンはヤクルト戦・大洋戦(主に神宮球場・横浜スタジアムでのホームゲーム)で休止、または期首特番等で休止される事も多かった。最も第1シーズンが13回で約3ヵ月分の量で放送するのに5ヵ月、第2シーズンが39回で約8カ月分の量で放送するのに1年、第3シーズンが16回で約4カ月分の量で放送するのに5ヵ月とそれぞれ掛っている具合になっており、当時のフジテレビ系列が如何にヤクルト戦・大洋戦と特番重視の編成を取っていたかが分かる。

フジテレビではこの枠を若手の登龍門とし、ゴールデンタイムに進出する機会の無かった若手演出家や脚本家を積極的に採用、一部のシナリオスクールにもアイデア募集のオファーが来る時があり、それを機にデビューした者も少なくない。

しかし、初期は当時まだ身近に起こりそうな奇妙な話と言う物が定着していなかったせいか、単に幽霊が出たり怪奇現象が起こる体験談や怪談風の脚本を持ってくる作家が多く、ディレクターの星護によると「要は本当にあった怖い話を書けば良いんでしょう?」と作家側から言われることも多々あったという。そのため、スタッフも番組の趣旨の説明に相当骨を折ったそうである。

三谷幸喜、君塚良一、野島伸司、北川悦吏子、岩井俊二、飯田譲治なども脚本に携わっている。他にも豊川悦司や相沢友子など元々が脚本家ではない俳優が脚本家へ進出するきっかけを作ったドラマでもある。相沢はデビュー以来長らく不遇が続いたが本作執筆をきっかけに脚本家として成功、豊川は「世にも」の脚本を書いてからは本格的に脚本・監督などの活動も開始した。

「世にも奇妙な物語」から、映画・ドラマへ派生した例も少なくない。例としては、飯田譲治脚本の「常識酒場」(1992年4月30日)と「トラブルカフェ」(1992年9月3日)は同局ドラマ『NIGHT HEAD』(1992年10月 - 1993年3月)の、藤野美奈子の原作を元に作られた「友子の長い朝」(1995年4月3日)と「友子の長い夜」(1995年10月4日)は映画『友子の場合』(1996年公開)の前身となった。「急患」(1991年4月4日)は、13年の時を越え、映画『感染』(2004年10月2日公開)としてリメイクされた。

2011年7月24日に地上アナログ放送が停波するのに伴い、2010年7月5日から地上デジタル放送への完全移行を前提に、アナログ放送の全番組が画角16:9のレターボックス放送に移行するため、本番組もアナログ放送では2010年10月4日放送分の「20周年記念スペシャル」よりレターボックスで放送開始された。

またこのドラマの特徴として、他のドラマより製作日数が極端に短く、放送一週間前までクランクアップしないこともあり編集もギリギリまでやっていることが多い。